修道院

サンタ・エウフェミア・デッラ・フォンテ修道院の建物群の建設はブレーシャ・ランドルフォの司教がベネディクト会修道士達にこの修道院を設立させた1008年に着工しました。ベネディクト修道士達は排水と水路の整備という重要な活動を行うためにこの地域に定住したと歴史は伝えています。キエーゼ川からガヴァルドにかけて枝分かれし、サンタ・エウフェミアを通過し、東部平原に浸透していく運河に隣接していることも、この地域が交通網の重要な要であったことを物語っています。修道士達はこの水を活用して洗濯場や農業に使用するための水車も建設しました。

6世紀初頭、修道院は当初、ブレーシャの23代目司教に因んでサン・パテリオ修道院と呼ばれていましたが、後にディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒迫害中、僅か15歳で殉死したカルケドンのキリスト教徒の少女、聖女エウフェミアに献納されました。14世紀から衰退が始まり、1438年にブレーシャがヴェネチア共和国の支配下に入ったことは、修道院に致命的な打撃となりました。

創設から最初の3世紀はサンタ・エウフェミアはブレーシャの現実社会の中で重要な存在でしたが、修道院の建物は常にブレーシャ侵略をもくろむ軍勢の攻撃に晒されていました。

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修道士達は修道院を去ることを決意し、1444年からサンタ・エウフェミアに後にサン・アフトラ教会となる新たな活動拠点の建設を開始しました。修道院に運気が戻ることはなく、1478年に古い修道院は永久的に閉鎖されました。建物の後部(1478年)と前部(1797年)に増設された棟が修道士達自身が修道院を農家に変更したことを物語っています。

依然として司教区教会が所有していたものの、修道士達が放棄した建物はナポレオンがブレーシャ国立大病院に指定した1797年まで倉庫として使用されていました。修道院はその後、村落に姿を変えました。

大修道院の痕跡が残る国立大病院時代の建物は、1979年にブレーシャ市庁舎になり、1997年にミッレミリア・ミュージアム協会に寄贈されました。